オタク日記20220119

 中学生のころ通っていた塾の帰り道、寒々とした夜気のなか空を見上げてみると雑木林の上の方に小さく光りかがやく月を見ることが出来た。


 その塾はクラスメイトの父親が経営しているといういわゆる個人塾で、塾生の大半が同じ学校のクラスメイトで占められたかなり小規模なものであったが、近所にあったその塾長の息子の家に幼い時分から通い慣れていたこともあって、講師含めて顔見知りが多く在籍するその塾に通うことはさほど苦痛ではなかった。ただ塾のみならず勉強全体に対して漫然とした忌避感をおぼえるようになったのはやはり当時が受験シーズンに入っていたからで、雰囲気こそ変わらなかったけれども小休憩の間に交わされる会話も徐々に勉強のことにとってかわられることに、心の奥底で忌避感ないし嫌悪感が湧き出ることもいま思い返せば仕方がないことではあった。そんな私が月の輝かしさに目を奪われたのはやはりそのときの回りの環境や雰囲気に倦んでいて、非人間的な崇高性や超越性を求めていた部分があるに違いないのだった。


 厚手のコートを着込み自転車を漕ぎながら月を見上げる習慣が定着してからしばらくして、高校受験が終わった。合否は惨憺たるもので、第一志望の高校には不合格、不精からろくに下見にも行かなかった滑り止めの高校に命からがら拾ってもらうことでなんとかやり過ごすことができた。高校に落ちたことはどうでもよく、というよりどの高校に受かったか落ちたかなんて甚だどうでもよろしいことだと思っていたため、受験期が終わり、受験勉強が終わったことに第一の安堵感をおぼえていた。それに加えて宿題も何もない高校までの春休みが勉強に駆動され続けた受験生にとっては何よりのオアシスとなるだろう。


 受験が終わり、あともうしばらくで中学校の卒業式を迎えようとしていたある日、塾の最終日が訪れた。小学校の中学年から通い続けていたので通算五、六年ほどは通い続けたことになるが、終わってみるとあっけないもので、もうほかの塾生と会うこともほとんどないのだろうということをぼんやりと考えた。春から通う高校に合格した生徒は自分の中学からは自分一人しかおらず、中学生のクラスメイトとも特段の事情がない限りこちらから会おうともしないつもりだったし、友達もそれほど多くはなく、再会の連絡を入れるような積極性もひとかけらも持ち合わせることがなかったため、この中学生活が終わったらもはや誰とも会うことがないのだろうと思っていた。


 頭の片隅で聞き捨てていた塾長の長話の最後、急に未来に向けた手紙を書こうという提案が持ちだされた。いまの自分から十年後の自分に向けた手紙を書こうということである。塾の講義の一環としてという点をのぞけば、企画としてはごくごく凡庸なものである。手紙など当然誰かに宛てることもなく、メールすら友人の少なさから誰かに送ることがなかった当時の自分としては文章を書くということに一種の煩わしさを感じていたが、自分自身に宛てる手紙というのはそうした気負いをなしに書くことができるかもしれない気安さを思いながら手紙を書いてみることにしたのだった。


 先日、十年後の自分に宛てで書かれた手紙が塾から送られてきたという連絡があった。日々の煩わしさに忙殺され、手紙のことなどそのときまでまるっきり忘れていた私は、受け取った手紙を読みすすめていくたびに少しずつ当時のことを思い返していった。手紙の内容は当時のやや息苦しさを感じる環境の話から始まり未来の自分の身の回りに対する問いで終わるひどく凡庸なものだったが、一点、冬の痛々しい寒さに刺激されながら見上げた夜空に浮かぶ神々しい月の記述が私の目を引いた。あれから月を見上げる機会はめっきりとなくなり、忙しさから塾の近所を通りかかることもなく、当然のことながら塾生塾講師といった当時の関係者と再会することも二度となかった。そもそも塾がまだ存続しているかどうかすら存じないが、願うことなら続いてくれていればいいと思う。そうしたはるか昔に灰褐色に思い描いていた心情や映像をただ天上に黄金に光りかがやく月の便りから知るのみなのだった。



2022年1月19日


22/7『何もしてあげられない (Type-B)』収録「君はMoon」を聴きながら